先日の連休で、久しぶりに地元に帰り、見事に風邪をもらって帰ってきましたyoheiです。
久しぶりに仕事のことを忘れ、弟と一緒に、昔遊んだ場所なんかを巡ってきましたが、10年以上ぶりに歩く市内はだいぶ変わっていました。
僕の地元は栃木県の那須塩原市で、観光地でも知られる高原地帯です。
東京から新幹線で1時間くらいで行ける距離なので、帰省こそ度々しているのですが、ほとんどは親と行動を共にすることが多く、あまり1人で市内に出 ることはありませんでした。しかし、今回は久々に2泊出来たので、1日使ってゆっくりと市内を探索してみたところ、子供の頃からよく訪れていたデパートが 無くなり更地と化していたり、地元密着型のスーパーがドン・キホーテになっていたり。中学の頃の遊び場であった繁華街一帯が今では飲み屋街になっていたり。
もちろんその代わりに、大型量販店が増え、買い物出来る場所は当時よりも増えてはいるのですが、この変わり様に残念さを感じた僕と弟は、やはり歳をとったのだなと痛感しました。
子供の頃は、新しい店が出来れば物珍しがり、古いものへの執着など微塵にも感じなかったと思うのですが、今ではノスタルジーと言う半ば夢見心地の感情が、新しいものへの弊害を生み出しているようにも思えます。
その証拠に、色々美味しいものを食べ、そこそこ舌の肥えたであろう今でも、小学校の頃好んで食べていた一皿330円のカレーライスが絶品に感じたり...
もちろん美味しいのですが、これはおそらく味覚3に対し、ノスタルジー7で食べているからでしょう。
このノスタルジーが絡んでくると、人は、その人個人の思い出が主観となり、論理的なジャッジが出来なくなる、と言うかする必要なんてないだろって思いたくなる気がします。
町に便利なお店が増えれば、そこで働く人も増え、結果として市全体の景気UPに繋がるのは嬉しいのですが、その反面、やはり生まれ育った町が年々近代的になっていく様を見ていくのは悲しいことでもあります。
よく僕の祖父と祖母が、「この辺は昔、~だったのに、今じゃこんなでかいデパートが出来ちまってなぁ...」って話すのを聞いていて、子供の僕は、おもちゃ屋が増えて嬉しい限りじゃないかと思っていましたが、32歳になった今、祖父と祖母の話が少し共感出来たりもします。
前進する上で、過去を振り返り過ぎるのは良くないかもしれませんが、このノスタルジーが存在するからこそ、人は心温まる瞬間を味わえるわけで、利益だけを優先した地域活性化戦略は、その町の良さスポイルしてしまいますよね。
僕も田舎を持つ東京在住人として、東京の便利なところ、素晴らしいところを少しでも地元に適用させられたら、田舎がもっと便利になるって思う節もあるけれど、利便性や効率化が全てにハマると言ったらそうではないのだと身をもって体感しました。
将来的に自分の生まれ育った町に、何らかの形で貢献出来るようになれたら、それは、かなりやりがいのある課題になりそうです。
成功したら駅前に銅像でも飾ってもらいます。