久々に、告知と関係ないブログです。
とても心が動いた展示の感想なので長くなってしまうかもしれません。
六本木で開催中の「民芸Another Kind of Art展」へ行ってきました。
以前から気になっていて、kimitoのイベント前ではありますが合間を縫って。
うまくまとめる自信がないのですが、とにかく背中を押されました。
美術品として作られたものではなく、必要性があって生まれたもの。
作りたいから作られたもの。
形にしたいからしたもの。
とてもとてもシンプルで、本来の私が好ましいと感じていたものがそこにはありました。
日常的に手を動かしてもの作りをしている人たちが生み出すからこその大胆さ。自由さ。
プレッシャーの感じない伸びやかでリラックスした表情。
なんだか涙がちょちょぎれました。
お仕事としても七宝焼と向き合っているうちに少しずつ失っていた感覚。
もともとの私は機能美が好きで、道具や家具や生き物や自然のもの
つまり意図して作りこまれた形よりも「必要だからそうなった」ものが好きでした。
あとは書家の両親の影響もあり、練りに練られたデザインよりも瞬発力によって生まれたもの。
経験による閃きを感じる躍動感のあるもの。
説明くさくないのにも関わらず、
そこにその点その線がその筆づかいで存在することが必然と思わせてくれるもの。
そう感じられるものが好きでした。
七宝焼をはじめた16歳の頃は、そういった好みを言葉にすることはできず
ただただ純粋に好きなものを作っていましたが
今思うと一番自由で、本来の私が作りたかったものを作ってたような気がします。
お仕事としても七宝焼と向き合うようになってから
お取引先様からの要望やお客様の意見、いろいろなお話で勉強させていただいて
商品としてのもの作りをすることが多くなり
自分で判断するのはおこがましいですが、洗練されていったように思います。
ですがその中でどうしても忘れてしまいがちだった心の動き。
勝手に自分の範囲を決めて、自らその囲いの中でもがいていたような。
もちろん商品としてのもの作りに携われたからこそ発展した表現、生まれた技法もたくさんあり
それらは私にとってかけがいのないもので、大切なもの。
作ったものはどれも大好きで、愛おしいです。
ですが今一度、自分と向き合うことができたこの展示は本当にありがたかった。
臆せずに、自由に、これからも七宝焼とかかわりたい。
民芸展は、美術展によくある解説がほとんどありません。
誰が作った。
いつの時代のもので、どこの国のもので、どんな材料どんな技法か。
そういった情報から解放され、それぞれの見る人の直感力で愛でてほしいというようなことが
展示のところどころに記されていました。
(素敵な言葉ばかりだったのに。ちゃんとメモをとればよかったです。)
まさに。
情報は有益なものですが、心の動きを鈍らせてしまうことが多々あって
ものを見る目を、自信を失わせてしまう場合があります。
自分がいいと思うもの。好きと思うもの。
それを大事に愛することがなによりの幸福だと思うのです。
意味や理由がなくても、何かを好きになっていいんだと
言葉にして残してくれた柳宗悦さん。
ありがとうございます。
誰かが作り出した善し悪しの概念ではなく
自分自身の「好き」に素直になれるようやわらかな心で暮らせますように。
2019年1月30日(水) – 2月5日(火)
銀座三越 7階 サロン ド きもの